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重松清の「エイジ」 [私が読んだ本]

7年ほど前に中学生の甥に借りて読んだ「エイジ」を、今回は自分で買った文庫本でもう一度読み直してみました。
1回目のときも、時間を忘れて一気に読んでしまいましたが、2回目の今回も飽きることなく夢中で読みふけっていました。

それにしても著者の重松さんという人はすごい人です。大人なのに、どうしてこれほど中学生の気持ちがわかるのかと思います。エイジや、その周りの少年、少女たちを見事に描ききっていて、物語の世界の登場人物というより、まさに目の前にいる中学生たちという感じがするのです。

東京郊外のニュータウンに住むエイジは、地元の「桜ヶ丘東中学」に通う中学2年生で、14歳になったばかりです。父親は高校の教師、母親は専業主婦、高校生の姉もいて、エイジは、時々家族のことを“うざい”と思いながら、それでも家族のことが好きだと思うふつうの中学生です(エイジ自身は、何を基準にふつうと言われるのかわからないし、「ふつの中学生」という言葉にも馴染めないものを感じています)。

エイジの住む桜ヶ丘ニュータウンで「連続通り魔事件」が起きることから物語は始まります。犯人はエイジと同じクラスのタカやんでした。14歳の少年が起こした事件ということでマスコミは騒ぎ立て、先生たちは事件について何も説明しないまま、朝夕、校門の前で生徒たちに「声かけ運動」を始めます。

マスコミはタカやんのことを、「14歳の通り魔」とか、「少年A」とか、「犯行の動機はストレスとか、漫画の影響、ゆがんだ性欲」とか報じます。それに対して、エイジは違和感を覚えます。
エイジにとって、タカやんは親しい級友ではないにしても、姿や形が見えない不特定の14歳の通り魔の少年ではなくて、生身のタカやんだっからです。
「中学生」ということで、ひとくくりにされることにも抵抗感を持ちます。

また、エイジは考えます。犯人のタカやんはキレたかったから、あんなことをしちゃったんだろうか、自分もタカやんになる可能性がないとは言いきれないのではないのかと。
さらに、エイジは思います。「キレる」と言う言葉は、オトナが考えているのと違うんじゃないかと。我慢とか辛抱とか感情を抑えるとか、そういうものがプツンとキレるんじゃない、自分と相手とのつながりがわずらわしくなって断ち切ってしまうことが、「キレルる」なんじゃないかと。

そしてついに、エイジもキレたくなって、学校からキレ、家からキレ、桜ヶ丘という地元からもキレて、渋谷に出て行きます。道行く人たちのことを「こいつら、うざい」「死ぬほど、うざい」と思いながら、幻のナイフで次々に刺していきます。

エイジの親友のツカちゃんも、片思いの相手の相沢志穂も魅力的です。ツカちゃんはテレビのインタビューで「通り魔だからっつて、べつにいいんじゃないすか?」とサービス精神のつもりで答えて、大人たちのひんしゅくを買います。
けれど、事件から数ヵ月後にタカやんがクラスに戻ってきた時に、タカやんに本心をぶつけます。
「タカ、人間、後ろからいきなりやられたらよお、びっくりするんだよ。痛えんだよ。殴られる理由がなかったら、もっと痛えんだよ。わかってんのか。このバカ野郎、わかれよ。それ、わかんねえんだったら、てめえ、殺すぞマジ、死ぬまでぶっ殺してやるからな、そこんとこ、よろしくっ」

私は、ツカちゃんにこれだけ言われて、タカやんはかえってすっきりしたのではないかと思いました。
タカやんがどうして通り魔をやったのかについては、物語の最後まで触れられていませんでしたが、私はそれはタカやん自身にもよくわからなかったのではないかと思います。
中学生のこの時期は、自分自身を含めていろいろなことをまじめに真剣に考えて悩む時期だと思うのですが、考えがまとまらずに頭の中がもやもやしていて、自分でも自分のことがよくわからないのではないかという気がします。
大人だって自分のことはよくわからないのですが、だんだんと鈍感になっていって、考えないようにしている部分もあるのです。

ところで、エイジはどうなったでしょうか。自分のキレる気持ちに決着をつけることが出来たのでしょうか?好きな相手にうまく気持ちを伝えることができたのでしょうか。
共感できるところがたくさんある本だと思います。読み終わったら元気が出る本だと思います。悩んでいたことが吹っ切れるかもしれません。
まだ読んでなければ、ぜひ読んでみてください。



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