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完璧な母、完璧な子ども、完璧な先生 [アンおばさんの教育ミニコラム]

昨日の朝日新聞に、「子育て支援に暗雲」というタイトルで、母親が「完璧な母」を意識して孤立感を深めているという記事が載っていました。男性は外で働き、女性は家庭で家事をしながら子どもを育てるという「伝統的家族観」を重視する安部政権のもとで、女性が身動きが取れなくなっているというのです。

今のように、ゆとりのない競争社会で、父親は長時間労働を余儀なくされ、母親は子育ての悩みを誰にも相談できずに、孤立感を深めているというのに、そこへもってきて、「親の子育て責任」を政府から強調されたら、母親は追い込まれるばかりです。
そうでなくても大変なのに、これ以上、完璧な母親なんて求められたら、どうしていいかわからない、という気持ちになると思います。
親の役割として規範意識を身につけさせること、食育の重要性などもあげられていましたが、安部総理の言う「美しい国」と同じように、うわべだけの飾り言葉に思えてなりません。
「いじめは悪いことだから、やめるように」と親から言われたら、子どものいじめがなくなる、と信じているような発想です。

完璧な母親ばかりでなく、完璧な子どもも求められているように感じています。
小学生はともかくとして、中学生になると大部分の学校で、部活が義務づけられていて、子どもたちは文武両道を要求されているからです。
私立の中学はそうでもないと思っていましたが、「帰宅部」というのはごくわずかで、評価されないという話も聞きました。
スポーツが好きで、自分から進んで入った部活ならともかく、義務感で入った部活で、しかも、そこにいじめなどがあったら、子どもはつらく感じるばかりです。顧問の先生が熱心だと、土曜も日曜もなくて、子どもは疲れ切っています。
中には、勉強もスポーツも頑張っている生徒もいるでしょうが、それは心も体も強くて、根性のある子どもです。いろいろな子どもたちがいるのに、一律に「完璧な子」を求めるのはどうかと思います。
私の「家庭塾」にやって来る生徒を見るにつけ、行き過ぎた部活に対して腹立たしい気持ちでいっぱいになりました。

教師にも、完璧さが求められています。
今年の、ある国立大学教育学部の小論文の問題にもはっきりとその傾向が現れていました。
国は、スーパーマンの先生を要求していると感じました。
全知全能の神様のような先生です。嘘っぽいと思いました。
完璧な先生でなくても、生徒の痛みがわかる先生、工夫して生徒を引きつける授業をする先生、それだけでも十分だと思っています。

記事の中では、カナダ生まれの親支援プログラム「完璧な親なんていない」が紹介されていたり、「仕方ない」「その時になったら考えよう」という『「まっ、いいか」と言える子育てをしよう』という本も紹介されていました。

完璧を求める社会は、窮屈で楽しくありません。
本の中にも書いてあるようですが、まじめなお母さんにこそ、意識的に「時にはチャランポランでもいいんだ」「いい加減でもいいんだ」と、思ってほしいと思いました。
完璧な母親なんてどこにもいないし、子育てで真剣に悩んでいるお母さんたちは、それだけでいいお母さんだと、私は思っています。
子どもだってそうです。成功体験は役に立ちません。「まっ、いいか」の精神で、気楽に失敗して、何回でもやり直せばいいのだと思います。