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ちりとてちん [アンおばさんの教育ミニコラム]

NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を見ていますか。
今回の主人公の喜代美は、明るく前向きなヒロインではなくて、何の取り得もない自分に劣等感をもっている少女です。
がんばっていないわけではないのですが、不器用なために、同姓同名で優等生の清海には何をやってもかなわず、清海の引き立て役にしかなれません。
小学校から高校卒業まで、主役はいつも清海で、喜代美はわき役にしかなれませんでした。学園祭で、照明係りとして、清海にスポットライトを当てたのも喜代美でした。

そんな喜代美が高校を卒業して、推薦で安易に決まった短大に進もうとしたときに、このままの自分ではいたくないと思いました。
「このままではいけない。何かしなければいけない。変わらなければいけない」という思いが、心の底から湧き上がってくるのです。

友だちに言われた言葉も、喜代美の胸に残ります。
誰かのわき役かもしれないけど、自分の人生の主役は自分であるべきだと。
亡くなった祖父の言葉も思い出します。
一生懸命生きていたら、悩んだことも、苦しんだことも、すべてが一緒になって、美しい花を咲かせられると。(セリフはよく覚えていませんが、趣旨はこんな感じでした)

喜代美は、くよくよ悩んだままこの先も生きていきたくない、後悔ばかりしていたくないと、両親に訴え、自分の人生の主役になるために家を出て行こうとします。
喜代美はまだやりたいことが見つかっていません。自分が何をやりたいのか、どこに向かって進んで行ったらいいのかもわかっていません。

今は、喜代美にかぎらず、若者も大人も生き方に迷う時代だと思います。
それでも、喜代美のように、「今の自分ではいやだ。自分を変えたい」と思うのは、若さの特権だという気がします。時間もエネルギーもたくさんあるし、測り知れない可能性を秘めているのですから。
「今の自分」に満足してしまったら、成長もないし、一生懸命に生きることの大変さも、そこからしか得られないと思われる喜びも味わうことが出来ません。
一生懸命生きることは楽ではないし、何度も壁にぶつかって投げ出してしまいたくなることもあるかもしれませんが、その中にこそ楽しみも喜びもあるのだということは、努力してみてわかることです。

中には、努力の意味を履き違えている人がいます。
以前、知人が働いていた一流企業で、社員が派遣社員たちに「僕は、生まれてから22年間も努力して社員になったんだよ」と、涼しい顔をして言ったそうです。
22年間というのは、幼児期から大学を卒業するまで、遊ぶことを我慢して、ずっと勉強してきたということです。
もっとも、今の世の中では、楽をするために、世間体のために、あるいは、お金持ちになることだけが目的で、子どもに勉強を強いる親も多いのかもしれません。
それって、どうなのかなと思います。人それぞれ価値観は違うので、それはそれとして認めるしかありませんが……。

放送大学の「発達心理学」でも学びましたが、子どもだけでなく、大人も、老人になってからでも、人間はいくつになっても成長するようです。
成長をやめた時が、老いるということなのかもしれません。
22年の努力(?)で満足してしまった人は、若くして老いてしまったということなのでしょうか。
私はもう若くはありませんが、「今の自分」から「なりたい自分」に、まだまだ自分を変えていく努力をしたいと思っています。



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