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不登校の子は元気? [アンおばさんの教育ミニコラム]

「不登校の子は元気」というのは、チャレンジ高校を目指して、「家庭塾」に通って来ている生徒が言った言葉です。
さらに、生徒は、「ふつうに学校に行っている生徒は、みんなと合わせなければならないので、元気がなくなるんです」と、説明も付け加えてくれました。

私は、“なるほどね”と感心しながら、おもしろい意見だと思いました。
学校に行っていても、いつも友達の顔色をうかがいながらびくびくしていたり、地のままの自分を出していたら、友だちに嫌われるのではないかと思って自分を抑え込んだり、したくもないのに自分を守るために誰かを馬鹿にして笑ったりしていたら、元気ではいられなくなるケースも十分にあり得ると思ったからです。
みんなと同じでなければいけない、目立ってはいけないと、子どもたちは身をもって感じているようです。
事実、私がこれまで関わった生徒の顔を思い浮かべてみても、学校に行っていても元気のない子は、少なからずいました。

そうは言いながら、「不登校の子は元気」だと、断定するわけにはいきません。
けれど、「不登校の子は元気がない」と、決めつけるのも間違いだと思います。
同じように、「不登校の子は暗い」と思うのも偏見だと思います。

「不登校の子は元気」と言っていた生徒は、「不登校の子は、暗いか、明るすぎるかなんですよね」と言いながら、「明るすぎても、浮いちゃってだめなんです」と、客観的な分析をしてくれました。

一般的に、「不登校の子は感受性が強くて、少しのことで傷つきやすい」とも言われています。
確かに、そういった面はあるかもしれません。だからと言って、ふつうに学校に行っている子が、みんな感受性が鈍いかというと、決してそうではありません。

私がここで言いたいのは、「不登校の子だから何々」「学校に行っている子だから大丈夫」というような、色分けや、線引きはしないほうがいいのではということです。
自分のことでも他人のことでも、決めつけてしまうと、そこで止まってしまって、前に進むことができなくなるからです。

以前も、それから今も、私が不登校の子どもたちに対して抱いているイメージがあります。
それは、不登校の子どもたちは、私にとってはおもしろい存在だということです。

去年、NHKテレビで、「爆笑問題のニッポンの教養」という番組を見ていたときに、精神科医の斉藤環さんとの話の中で、大田光さんが「ふつうの人は、外へ外へと向かっていくのだけど、不登校やひきこもりは、自分の内面へ内面へと向かっていって、ぼくは、むしろ内面の方が広がりが無限のような気がする」といったようなことを話していましたが、それに通じるおもしろさです。

自分の内面ばかりをあまり見つめ続けていると、わけがわからなくなって苦しくなってしまうことはありますが、外にばかり、モノにばかり向いている人に、私は魅力を感じませんし、話していてもおもしろいとは思いません。(たまになら、いいかもしれませんが……)
感受性が強いというのも、好き嫌いがはっきりしているということなので、メリハリがあって会話も弾みます。

内面を深く見つめる子どもは、また、自分の考えを持っています。
「どう思う」の問いに、自分の言葉で答えることができます。
ですから、話していても、おもしろいし、楽しいのです。

今日はじめて、「家庭塾」に来ている生徒のことを書きました。
これまで、生徒が自分のことを書かれるのはいやなのではないかと思って、なるべく書かないようにしたり、書いても、ぼかしたり、状況を変えて書いていたのですが、「元気な不登校の生徒」が、書いてもいいいと言ってくれたのです。
ちなみに、彼の性格は、「明るすぎる」のではなくて、「明るい」だそうです。