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赤毛のアンと私、そして生涯の友 [アンのこと]

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(生徒Rちゃんが描いてくれた絵)


NHKの朝ドラの「花子とアン」が終わりました。ドラマを見ていて、「赤毛のアン」の翻訳者の村岡花子さんが、自身に似ているところのあるアンのことが気に入って、あんなに生き生きとした素晴らしい翻訳をしたことが想像できました。
私も少女時代に、アンに夢中になって、アンだけでなく、アンの娘のリラまで全て読んだ記憶があります。
アンの正直なところや、いつも心が動いていて好奇心でいっぱいのところ、ドラマにもあったように、「曲がり角の先にはきっといいことがある」と、時には不安におののきながらも、前向きに考えて、進んでいくところが好きでした。また、アンがいるだけで、周囲の人をやわらかく、幸せな気持ちにしてしまうところも、アンの魅力だと思っていました。
私の少女時代は、失敗したり、上手くいかないことがあっても、アンから勇気をもらったり、励まされたりして、気持ちを切り替えることが出来ていたように思います。

私もアンのようになりたいとずっと思っていました。その気持ちは大人になってからも変わらなくて、ブログのニックネームをアンにしたのもそのためです。

アンにはダイアナという親友がいましたが、私にも学生時代から何十年と付き合っている、“生涯の友”とも言うべき仲の良い友達がいます。

もう2週間ほど前になりますが、その友達2人と昼食を共にして、それぞれの事情でが会えなかった数ヶ月の積もる話があって、真夜中までおしゃべりしてしまい、その晩は友達の家に泊めてもらいました。

その時に、赤毛のアンの話も出ました。私は昔から赤毛のアンが好きだったので、その当時にも、赤毛のアンの話は当然していたと思っていたのですが、今回が初めてとのことでした。
その頃、友達2人も「赤毛のアン」は読んでいたらしいのですが、印象に残らなくスルーしてしまったということでした。仲の良い友達でも、感じ方は違っていたのだということが、不思議でもあり新鮮な気もしました。

今回、私が友達に聞いてもらいたかったのは、自宅を後にして、私の元に飛び込んで来た親戚になる予定の末期ガン患者のFさんのことでした。今年の3月の時点で余命1ヶ月と診断されていたのですが、7月中旬まで持ちこたえました。葬儀も私が執り行い、菩提寺のある故郷の県で8月末には49日もすませてきました。毎日の病院通いや、途中で退院を余儀なくされた時の老人ホーム探しと入居、その後の再入院など、諸々の段取りや準備に追われて、喜びをかみしめる間もなかったのですが、そんな中で息子の結婚式も敢行しました。

実は、Fさんの孫が息子の嫁で、生きている間に孫の花嫁姿を見せてあげたいと思ったからです。身内に縁の薄かったFさんの最後の時を、温かく、穏やかな時間にしたいという思いもありました。Fさんの孫(息子の嫁)はあまりにも若すぎて、Fさんの病気を受け止めることも、その時々の対処の仕方もわからなかったからです。
それ以上に、難病を抱える息子が結婚できたのは、Fさんとの天の配剤とも言えそうな巡り合わせ、Fさんからの若い二人への強力なサポートがあったからこそのことで、Fさんにはどれだけのことをしても、感謝し足りない思いもありました。

私だけでなく、2人の友達もそれぞれ話したいことが詰まっていました。
学生時代からずっと何でも言い合える友達ですが、振り返ってみれば、好きな異性や恋愛の悩み、結婚、夫への不満、子育ての苦労、その後も続く成人した子ども達の自立の難しさ、そして私たち自身の老後の身体的、経済的な不安など、人生の節目、節目で経験する様々な困難や、マイナス面を包み隠さずお互いに言い合ってきたように思います。それぞれの話を聞きながら、外から見れば恵まれているように見えても、思い通りにならない人生を何とかやっている、それならば私も、という気持ちになれたのだと思います。

私もすでに、アンというより、アンおばさん、それよりアンばあちゃんという方が合っているかもしれませんが、気持ちは年とらないと思っているので、赤毛のアンに憧れていた少女時代のままに、これからもアンのように前向きに過ごしていけたらと思っています。
生涯の友2人とも時を忘れておしゃべりに花を咲かせる、そんなひと時がこれからも末永く続けられたらそれで大満足です。
もちろん、ライフワークにもなっている「家庭塾」も、できる限り続けていきたいと思っています。

※上の絵は、現在通って来ている受験生のRちゃんが描いてくれたもので、とても気に入っています。



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