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あけましておめでとうございます [不登校、ひきこもりのあなたへ]


今日は寒さが段々と厳しくなる“小寒”ですが、寒いからといって家の中に閉じこもってしまわずに、気持ちだけでも外に向けて春を迎える準備をしましょう。
わが家の庭先の梅の花のつぼみも心持ち赤く色づいて見えて、冬もやがて終わることを気づかせてくれています。
いつも歩いている森の公園の木もすっかり葉を落としたばかりだと思っていたのに、既にしっかりと小さな芽をつけている木も見受けられます。

今年のあなたは何かをしようと思っていますか。
それとも、去年と同じように不登校や引きこもりを続けようと思っていますか。
お父さん、お母さんたちはどうでしょう。

潔く葉を落とした大木が、再び芽吹いて数え切れないほどの若葉をつけていくように、60兆あると言われている人間の細胞も日に日に生まれ変わっています。
そしてその細胞は、うれしいことや楽しいことが大好きで、反対につらいことや苦しいことなどマイナ要素は好まないと聞いたことがあります。
けれど、一般的に人はマイナス方向に流されやすくて、いつもいつもプラスのことばかり考えてもいられません。
そこは自分自身で舵取りするしかないのでしょう。

私も昨年の後半は一時期、介護疲れからか気持ちが塞ぎ込み、楽しい気分になれませんでした。
間もなくプラスの方向に気分を変えることができましたが、その時のキーワードは“自分らしく生きる”ということでした。
自分らしさの中身について考えていたところ、答えは友人・知人から受け取った年賀状の中にもありました。
前向きさと、やろうと思ったことは最後まであきらめずに続けることのようです。
それがわかったら、余計に元気になりました。

あなたもあなたらしさとは何かを自分に問いながら、あなたらしく生きればいいと思います。
それが一番無理のない、楽しい過ごし方だという気がします。

私は、今年もまた、まだまだ種まき状態である“不登校・学力不振の家庭塾”を少しずつ根付かせていきながら、生徒にとって出会ってよかったと思える大人でありたいと思っています。


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不登校の生徒の元気の裏側 [不登校、ひきこもりのあなたへ]

新学期が始まりました。
春休み中は、自宅で比較的元気に過ごしていた不登校の生徒も、学校が始まると落ち着かなくなり、心がざわざわしてくるのではないかと思います。

以前のブログに「不登校の子は元気?」という記事を書きましたが、この「元気」は「学校」のことを考えなければということで、「学校」のことを考えたら、途端に元気はなくなります。
たとえ、「明るい不登校」の生徒であっても、学年が上がるにしたがって元気がなくなり、高校受験を意識するようになると、不登校生活が長引いている生徒ほど、不安は際限なく広がっていきます。
学校に行かない生活がふつうになっているので、「学校」が恐怖の対象になっていると考えられるからです。

私に「不登校の子は元気」と教えてくれた生徒は、2月から「家庭塾」に来なくなりました。
初回だけは、私が家庭教師として生徒の家に行ったのですが、2回目からは、生徒が「家庭塾」まで通って来てくれました。
私とは1回会っただけなのに、自宅から1時間以上もかけて、初めての私の家にたった一人で来てくれました。
それだけで、私は彼のことを勇気があって、すごいなと思いました。
3回、4回、5回と続けて通って来て、チャレンジ高校に提出する「志願申告書」も、ほとんど休憩も取らずに集中して書いていました。
与えられた言葉ではなく、自分で納得できる言葉を探して、文のつながりも考えて、文章を書くことと格闘していました。

作文の書き方を教える一方で、雑学に強いという彼から、私もいろいろなことを教わりました。
彼の好きな将棋のこと、ゲームやパソコンの話、(私は見ていなかった)テレビドラマの「金八先生」の内容など、多岐にわたっていました。
まさに、「不登校の子は元気」ということを、自分で証明しているような彼の姿でした。

けれどその一方で、「そう簡単にはいかない」ということも、私にはわかっていました。
不登校の生徒は最初に頑張りすぎて、途中で息切れがしてしまうことがよくあるからです。
自分の意志で、チャレンジ高校の受験を迎えるその日まで、「家庭塾」に通い続けられたとしたら、もはや彼は不登校ではないし、そもそも不登校になることもなかったはずです。

彼が電車の中で寝過ごしてしまって大幅に遅刻をしたり、日にちを間違えて次の日に来たりしても、注意する気にはなりませんでした。
とにかく、通って来てくれさえすればいいと、祈るような気持ちでした。
彼が「家庭塾」に来るようになったのは去年の12月中旬のことで、それから週に1度、5回続けて通って来て、2月に入ってから来なくなりました。
携帯にメールをしても返事はありませんでした。
彼のお母さんからは、チャレンジ高校の前期の試験には受からなかったという連絡が入りましたが、その後のことはわかっていません。

昨夜、NHKテレビで「愛美さんが教室に戻れる日」という番組を見ました。
愛美さんは生徒相談室には行けても、補習授業を1人で受けるための教室には行けずに泣いていました。すぐ隣が他の生徒たちがいる教室で、声が聞こえるだけでも怖くて、いじめを受けた記憶が鮮明に思い起こされてしまうと言っていました。
それでも、愛美さんは、「不登校対応専任教員」に支えられて、全校生徒の前で朗読劇をやったり、顔は上げられませんでしたが、美術の授業に出たりしていました。
この「不登校対応専任教員」の存在は大きいと思いました。授業を持たずに、授業が始まると同時に学校を飛び出して行って、不登校の生徒を一人ひとり訪ねて、ほぼ毎日彼らの心の叫びに耳を傾けるのです。

番組に登場した愛美さんも、真義君も、本人は自分のよさに気づいていないかもしれませんが、心の中に宝物をもった生徒たちでした。
このブログを読んでくれている不登校のあなたたちも、同じように、心の中に宝物をもっている生徒だと思います。残念なことに、その宝物はなかなか自分では発見することはできません。
それを発見してくれるのは、心ある大人だと思います。
私の願いは、あなたたちが自分を否定しないで、自分の中にある宝物にできるだけ早く気づいてほしいということです。
そうすれば、本当の元気も出てきます。元気がでればやる気も出て、いろいろなことをやりたくなります。それは楽しいことです。
そのためには誰でもいいですから、「不登校対応専任教員」のような信頼できる大人、寄り添って一緒に歩いてくれる大人に出会うことです。
あるチャレンジ高校では、新1年生に、張り切って友だちを作ろうと思わずに、まず先生とのつながりを密にすることだというアドバイスがあったそうです。
私は、チャレンジ高校には、あなたたち1人ひとりのよさをわかってくれる先生方が必ずいると思っています。

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まず一歩を踏み出すこと [不登校、ひきこもりのあなたへ]




あけましておめでとうございます。
昨年同様、今年もブログの更新は時々という感じになると思いますが、お付き合いいただければありがたいです。
よろしくお願いします。

今年は、このブログを読んでいる不登校やひきこもり、また、そのお父さんやお母さんたちの1人ひとりが、「今年こそ○○しよう」などと力む前に、まず小さな一歩踏み出すことを心から願っています。

20歳の頃、私は失敗することを恐れて、なかなか行動することができませんでした。
そんな時はいつも、社会心理学者で早稲田大学教授の加藤諦三さんの本を読んで、そこから勇気をもらって、一歩を踏み出していました。

以下に、紹介したいと思います。

“まず一歩を踏み出すこと”

よく、自分は何をしたいのかわからないとか、何もすることがないとかいう人に会う。そういう人は、たいてい受け身の人である。遠くにあるものばかりを見て、近くにあって自分のできることを見ようとしない。………
自分は何か立派なこと、偉大なことをしなければならないと、そういう人は思っている。小さなこと、日常的なこと、そんなことは自分の理想的な自我にはふさわしくないと思っているのである。

机の上をキチンと整理するのでもよい。1日に3回空を見上げるのでもよい。空を見上げて甲状腺を伸ばせば健康にもよい。今までより朝1時間早く起きるのでもよい。
昨日できなかったことを悔やんでいるよりも、今日できることをやることである。

“面白さややりがいはやった後についてくる”

何か面白いことがあればやりたい、と思っている。しかし、人間にとって、やる前から面白い、などというものは、はじめてみても長続きするものではない。そんなものは安易なものに決まっているからすぐに退屈してしまう。人間の興味や関心ややりがいや、そういったものは、何かをやっているうちに出てくるのであって、何かをやる前から感じるものではない。

“「上手さ」や「正しさ」を求めるな”

以上に、書いたようなことをちらっと頭に入れて、まず小さな一歩から始めてみてはどうでしょうか。



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劣等感について [不登校、ひきこもりのあなたへ]

「あなたは、どうして、そんなに出来ないの!」
「おまえは頭が悪いな」
「お母さんは美人なのにね……」
これらの三つの言葉は、私が子どもの頃によく言われていた言葉です。

特に、学校の先生から言われた最初の言葉は、今でも時々夢の中に出てきて、目覚めたときに夢だと気づいて、苦笑したりしています。
何がそんなに出来ないのかといえば、小学校から中学までの、運動会のダンスと、手先を使う折り紙や工作類です。とにかく、体も手先も不器用で、その不器用さはクラスでも一番でした。
クラスの友だちが簡単にできることが、どうして私には出来ないのだろうと、劣等感に苛まされていました。

頭が悪いというのは、父からよく言われました。
末っ子の弟と比較して、弟は全く勉強をしないでも学校の成績がいいのに、私は勉強してやっと弟と同じだというのです。
この言葉には、少なからず傷つきました。

母と私を比較したのは、祖母でした。
母がきれいなのは、娘にとってはうれしいことでしたが、祖母にはやはり反発を覚えました。
高校生の時には、美人で頭がよくて、性格のいいクラスメートのことを、うらやましいと思ったこともありました。

この他にも劣等感はまだまだありますが、それでも私は、自分のことをだめだとは思いませんでしたし、嫌いにもなりませんでした。
人一倍不器用だって、時間をかければ出来るようになるし、努力しないで頭がいい人より、あきらめないで努力を続けることのほうがいいはずだ、とわかっていたからだと思います。
容姿については、女性は特に気になるものですが、美人でなくても、性格や雰囲気やしぐさで、魅力的に見える人はいっぱいます。
内面を磨くことがポイントだと思います。

思うに、劣等感を持たない人なんているでしょうか。
あらゆることに対して自信満々で、やることなすこと全て成功するなんていう人がいたとしたら、それっておもしろくないな、と思います。
テレビドラマを見ていても、挫折や失敗はつきもので、それがあるからこそ、共感できるのではないでしょうか。

劣等感をもっている自分、何の取り得もないように思える自分のことを、まず認めてしまいましょう。そうすれば自分が楽になるし、そこを出発点にすればいいのです。
「どうせ、自分は何をやってもだめなんだ」と投げてしまうことは、自分を粗末にすることです。
自分の心も体も大切にしてほしいと思います。

人の気持ちを一番動かすものは何だと思いますか。
私は、人から見たらつまらなそうに思える小さな事に対してでも、自分がそうと決めたら、何度失敗してもあきらめずに、ひたむきに努力する人に心が引かれます。
他人の評価や人の目など気にしないで、自分の信じる道を歩み続ける人を、ステキだと思います。



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バッテリー3 [不登校、ひきこもりのあなたへ]

巧へのリンチ事件に加えて、3年生部員が引き起こした不祥事によって、野球部は活動停止に追い込まれました。その処分が終わって、レギュラー対1年2年の紅白戦が行われることになり、巧と豪のバッテリーは見事にレギュラーチームを打ち負かしました。

再び、野球が出来る喜びに巧たちは胸を躍らせますが、監督の戸村は、事件の余波で大会出場へのチャンスを奪われ、消化不良のまま引退しなければならなくなった3年生部員のために、練習試合を組もうとします。
対戦相手は、全国大会でベスト4までいった隣町の横手2中です。
常識的に考えれば歯が立つ相手ではなかったのですが、戸村もキャプテンの海音寺も、巧の球なら、互角に戦えるのではないかと考えました。

今回の内容で、何と言ってもおもしろかったのは、3年生と巧たちとの紅白試合、巧・豪のバッテリー対横手の強豪打者門脇との勝負でした。この本に登場するマドンナの小町先生と同じく、私も野球のことはよくわかりませんが、フアンの一人として、巧たちの試合をハラハラドキドキしながら、思いっきり楽しむことができました。

自己中心的な巧の性格は相変わらずでしたが、私は巧のような少年って、好きだなと思いました。
巧は、相手にではなく、いつ自分の気持ちに正直で、まっすぐに相手に向かっていきます。相手が先輩であろうと、校長であろうと、誰であろうと、巧は態度を変えずに、自分が正しいと思ったことを主張します。
その若さがうらやましくもあり、カッコいいとも思いました。

それに対して、野球を含めた部活動を、健全な精神と肉体を養うための教育の一環だと考え、何が何でも学校の管理下に置こうとする校長先生の考え方は、大人特有の建前論で、巧が反発するのも無理はないと思いました。
巧たちにとっての野球は、そこで何かを意図的に学ぶためにやるものではなくて、野球が好きでたまらないからやる、強制されてやっているのではなくて野球そのものが楽しいからやっている、というようにシンプルなものだったからです。
こういう部活動が、現実的にも望ましいのではないかと私は思っています。

巧は豪からも、「おまえって、自分のためだけにしか、怒ったり、戦ったりできんのんじゃ。わかってた?」と言われてしまいます。
それはそうなのですが、それでも巧は、相手の言葉はいつもきちんと聞いていて、認めるところは認めています。
巧の内心の言葉が出てきます。
(チッ。巧は舌打ちする。豪といると、時々かなわねえなあと感じる。こいつにだけは、かなわない。そう感じるたびに、舌打ちしてしまう。)

こんな場面もありました。横手中の門脇と勝負するときに、巧が手加減した球を豪に投げてしまったときのことです。
「おまえな、あの四球目のあと、どんな目ぇしておれを見た。わかっとんか。哀れみやがって。勝負の最中に、キャッチャーがピッチャーに同情されて、どうすんだよ」
巧に対する豪の怒りは、半端なものではありませんでした。
巧には、巧なりの豪に対する気遣いがあったのですが、巧はそれを口にはしませんでした。

巧も豪も、同級生の野球部員の沢口も東谷も吉貞も、キャプテンの海音寺も、それぞれに個性をもった、ステキな少年たちです。
それぞれが自分というものをもっていて、その個性がぶつかり合い、触れ合い、またあるときは、うまい具合に受け流したりしています。
みんなそれぞれに違うから、おもしろいのだと思いました。

あなたはどう思いましたか。



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「先取り不安」と「自分が悪い」からの卒業 [不登校、ひきこもりのあなたへ]

自分が弱い立場にいたり、深く傷ついていたりすると、何かをやろうと思っても、「うまくいかなかったらどうしよう」と、やる前から不安なことばかりを並べ立てて、自分の行動にブレーキをかけてしまいがちです。
また、他人と接する時にも、相手が自分に対して冷たい態度をとったり、無関心であったりすると、「自分は嫌われている」と思ったり、「私が悪いのだから、仕方がない」と、全てを自分のせいにして、心を閉ざしてしまうこともあると思います。

もし、あなたにこういう気持ちがあるとしたら、その発想を少しずつ変えていってほしいと思います。

実は、84歳になる私の母が、いつもこういう発想をするのです。
3年前までは、私に似て(?)前向きで元気な人だったのですが、その後、家庭環境が変わって、年齢とともに自分の体が自分の思うように動かなくなったときに、うつ病になってしまい、人が変わったようになってしまったのです。

弟一家と一緒に住んでいるのですが、私も週に1度は、母の介護に通っています。
ここ半年ばかりは、パキシルという薬が効いているのか、うつ病の症状もほとんど見られなくなって、表情も柔らかくなってきました。
けれど、「先取り不安」と「自分が悪い」という発想からは抜け出せずにいます。

最も大きい「先取り不安」は、私が行かないと、自分は飢え死にしてしまう、と本気で思っていることです。確かに、1週間分の昼食については、私が料理したものや生活クラブ生協の冷凍食品を持って行くし、買い物も私がしていますが、だからと言って、食べるものがなくなるなどということは、決してないのです。
2階の弟夫婦に頼めばすむこととなのですから。

ところが、母にとっては、これが大変なのです。
弟夫婦は忙しいので、母の様子を気遣ったり、やさしい言葉をかけたりすることができないのですが、母は自分が嫌われているからだと思い込んでいます。体も心も元気でなくなってしまった自分は、家族のお荷物で、自分はいないほうがいい存在だと思っています。だから、頼みたくても頼めないのです。
お嫁さんが、不機嫌そうな顔をしていると、「全て私が悪いから」と思ってしまいます。
お嫁さんだって、体調が悪いときもあるし、疲れていることもあるのだ、という想像力は働きません。
母の家に行くときは、私は丸1日、母と付き合いますが、文句や不平ばかり言われても、笑顔でやさしく接することが出来ます。週に1日だからです。それが母には理解できません。一緒に住んでいる家族にもそれを期待してしまうから、かなえられないと、つらくなるのだと思います。

明日は、母の介護に行く日ですが、母の頭は台風のことでいっぱいです。台風が来たら、私が行かれなくなると思っているのです。
電車が動いていなければ無理でしょうが、母のことは大切に思っているので、私が行かないということはありえません。

話は変わりますが、2学期が始まってしまいましたね。夏休み中は、友だちも学校に行かないので、気持ちが楽だったかもしれませんが、今は置いてきぼりにされたようで、あなたは暗い気持ちになっているのではありませんか。
休みの間は、「2学期からは学校に行ってみようかな」と、ふと考えたりした人もいたのではないでしょうか。
けれど、「今まで休んでいたのに、どんな顔をして行けばいいのだろう」「友だちに無視されたらどうしよう」「また、傷つけられたらイヤだな」「誰からも話しかけられないで、1日、教室にいられるだろうか」「先生はあたたかく迎えてくれるだろうか」「勉強だって、わからないことばかりでついていけないに決まっている」「もし行けたとしても、また行けなくなったら」等など、心配や不安の種は尽きないと思います。

明日、関東地方に上陸する台風についても、どうなるかはわかりませんが、母が想像している台風の方がおそろしいような気がしています。一般的に、現実よりも、想像している方がもっと不安ということもあります。人はプラスのことを考えるより、マイナスのことを考えるほうが得意だからです。

学校に行くことを考えたときに、反対の立場の人のことを想像してみるのもいいかもしれません。あなたが不登校ではなくて、不登校の友だちが、久し振りに登校してきた場合のことです。あなただったら、「よく、来たね。待ってたんだよ」と、すぐに友だちに声をかけることができますか。心の中ではそう思っていても、他の友だちの目も気になるし、なかなか勇気のいることではないでしょうか。

また、友だちの態度が冷たかったとしても、それは、あなたのことを嫌っているわけでも、あなたが悪いわけでもなくて、友だちが自分のことに精一杯で、あなたのことを気にかける余裕がないだけだと思います。
私の弟夫婦と同じだと思います。

無理して学校に行くこともないと思いますが、「先取り不安」と「自分が悪い」と思う発想からは、少しずつ、卒業できるといいですね。
そこから、何かが始まると思うのです。



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バッテリー 2 [不登校、ひきこもりのあなたへ]

「バッテリー 1」はもう読みましたか。1については、内容しか書きませんでしたが、これから書く「バッテリー 2」については、内容だけでなく、私が読んだ感想も書いてみたいと思います。

中学生になり野球部に入部した巧は、そこで早くも監督の戸村に歯向かい、先輩からは「生意気な新米部員」として反感を買います。
管理野球で、これまで生徒たちを自分の思い通りに動かしてきた戸村は、巧に対しては長髪を切るように命令します。
すると、巧は「髪の長さなんて、野球に関係ないこと言いださないでください。おれ、髪の毛で球を投げているわけじゃありません。全然理にかなってないです」と反論し、命令には従いませんでした。

巧とバッテリーを組みたくて、野球部に入部した豪は、そんな巧を見ていて心配になります。あまり監督に逆らうと、試合に出してもらえなくなると思ったからです。
巧と豪のやり取りがあります。
「試合っていうのは出してもらうんじゃなくて、出るもんだろうが……(略)」
「試合に勝とうと思ったら、おまえを使わんとしょうがないて言うことか」
「そういうこと」
巧の言葉を聞いて、豪は心の中で思います。
(そこまで自分で自分の力を評価するんか。それ、高慢じゃないんか。おまえは思い上がった鼻持ちならないガキにすぎんのじゃねえのか。)
それでも、巧のピッチャーとしての腕を十分に認めている豪は、そうだ、そうだよな。と、相槌を打ちました。

ところが次に、「戸村の言うとおりになるぐらいなら、試合に出ないほうがいい」と巧が言ったとき、豪は激怒します。
豪は悔しかったのです。2人でバッテリーを組んでやる野球が、自分の意地を守るためなら、簡単に捨ててしまえるほどのものだったのかということが。
「おまえは、自分さえよければ、まわりなんかどうでもええんだろう。ちっとはな、人のことを考えてみい。おまえなんか、最低じゃ」
幼稚園のときから、他人に対して怒ったことがないという豪を怒らせたことで、さすがの巧も、(おれが悪いなら、あやまるよ。豪。だけど、おれ、ほんとうにまちがってるのか)と心の中でつぶやきながら、寝つかれない夜を過ごしました。

それでもなお、巧は自分を信じています。戸村に逆らっても、試合に出られると本気で思っています。自分で自分が信じきれなくなったら、自分が壊れてしまう気がして、そんなことはみじめでいやだと感じています。

天才ピッチャーとしての巧の才能を見せつけられた戸村は、巧を認めて、豪とバッテリーを組ませて、試合に出すことを決めました。
おもしろくないのは、これまで、戸村の言いなりになって、好きでもない野球でがんばってきた副キャプテン他数人の先輩たちでした。
誰にも知られない巧妙な手口で、巧は集団リンチを受けます。
「もしかして、このまま死ぬのかな」と、巧が考えるほどのひどいものでした。

この先の展開について知りたい人は、自分で読むことをオススメします。ぜひ、読んでください。

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バッテリー 1 [不登校、ひきこもりのあなたへ]

夏休みに読んでほしい本があります。あさのあつこ著の「バッテリー」(角川文庫、514円)です。あなたが小学校の高学年以上であれば、夢中になって、ほんの数時間で読み終えてしまう本だと思います。
私は、もうおもしろくて一気に読んでしまいましたが、あなたにとってはおもしろくもないし、主人公の巧を「いやな奴」だと思って、途中で読むのをやめたくなるかもしれません。
それでも、投げ出さないで、最後まで読んでほしいと思います。どこが気に入らなかったのか、どうしておもしろくないと思ったかを、できれば教えてもらいたいと思うからです。(メールをもらえたらうれしいです)

以下に、簡単なあらすじを書いておきます。

主人公の巧は、中学に入学する直前の春休みに、祖父が住む岡山県と広島県の県境にある新田という地方都市に引っ越してきました。
巧は天才ピッチャーとしての自分に絶対的な自信をもっていて、甲子園に出場する高校生にだって自分の球は打てないだろうと思っています。他人の気持ちなど全く関係がなく、自分の気持ちだけを大事にして、言いたいことを言い、行動します。
これほどに傲慢で、協調性のない子どもがいたのか、と感心するくらいです。誰に対しても(親に対してさえ)、自分を理解してもらおうなどとは思っていないので、孤独ですが、本人はそんなことは全く気にしていません。

そんな巧の前に、巧の剛速球が受け止められるキャッチャー永倉豪が現れます。
豪は、巧と同学年ですが、性格は正反対で、他人を真正面から思いやることのできる、強くておおらかな少年で、巧の弟の青波にも温かい気持ちで接します。
青波は巧のことを信頼し、慕っていますが、巧には、青波のことをうっとおしく思う気持ちがあります。

小学4年になる青波は、生まれつき体が弱いのですが、母親の真紀子にとっては、生きて、そこにいてくれるだけでいい、と思える存在です。一日中、青波のことだけを心配していて、青波を守るためにだけ生きているといった感じです。
一方の巧に対しては、「わたしがどう思ってるなんてこと、巧には関係ないの。大人なのよ。自分だけを信じてるみたいなところあるもの。すごいと思うわ。ぞっとするくらいよ」と、自分の父親であり、巧の祖父に当たる洋三に向かって言っています。

豪は、巧の球を受けられたことで、その出会いを運命的なものだと感じます。巧の球を自分のミットで受けたときの感触、心の高ぶり、誇らしさは、豪の心を熱くします。
巧は巧で、自分とバッテリーを組むのは、豪しかいないと直感しました。
けれど、天才ピッチャーの巧に出会ってしまったことで、豪は自分のキャッチャーとしての力を思い知らされることになり、自分と向き合うことの苦しさを身をもって体験していくことになるのです。 
                                 ――「バッテリーⅡ」に続く――



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一番つらいことは [不登校、ひきこもりのあなたへ]

一番つらいのは

体が弱いことでも

心が弱いことでも

能力がないことでも

お金がないことでもなくて

誰にもわかってもらえないこと、認められないこと。

そうしたら自分でも自分のことが認められなくなってしまう。

逃げ出したくなる。

消えてしまいたくなる。

生きてていいのかと、そんな悲しいことまで考えてしまう。

けれど、生きていていけない人なんているわけがないです。

あなたはあなたのままでいいんです。

今晩はぐっすり眠れて、楽しい夢が見られますように



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親に心配をかけたくない [不登校、ひきこもりのあなたへ]

「いじめられていること」を親に言えない子どもがいます。
そのいじめがあまりにひどくて、「自殺したい」と思うほどであっても、「親に心配をかけたくない」と思って黙っているケースもあるようです。

いじめではありませんでしたが、私が関わった子どもたちの中にも、「親に心配をかけたくない」、あるいは「何とかして、親を喜ばせたい」「親の喜ぶ顔が見たい」と思っている子どもが少なからずいました。
親が苦しい生活をしていたり、恵まれない環境にいたりすると、心やさしい子どもであればあるほど、親をかばって「親に心配をかけてはいけない」と思ってしまうのです。
こういう子どもたちは、親に甘えることが出来ません。
彼らは、親には決して甘えませんでしたが、私には甘えてきました。

私はどうかといえば、中学の時に父を亡くして、以来母が大変な苦労をして私と弟たちを育ててくれましたが、これまでに一度も「母に心配をかけてはいけない」と思ったことはありませんでした。
また、私には娘と息子がいますが、彼らも一度も「親に心配をかけてはいけない」と思ったことはないと言っています。

時々、息子が「お母さんに心配をかけたくなかったから、黙っていた」ということがありますが、それは言い訳で、自分に都合が悪いことを言わなかっただけのことです。
結局、後で知ることになって、最初から教えもらったほうがはるかに楽だった、というケースがほとんどでした(笑)。

「親に心配をかけたくない」という気持ちの中に、「親には甘えられない」という気持ちが含まれているとしたら、それは悲しいことだと思います。
子どものことを心配しない親なんていません。子どもから迷惑がられても、子どものことを心配してしまうのが親というものです。
それは、子どもが大人になっても変わりません。子どものことを本気で心配するのは親だけかもしれません。
だから、親には心配をかけていいのです。

「親に心配をかけたくない」と思うより、親に甘えてみてください。
新聞広告で知りましたが、「10代からの子育てハッピーアドバイス」という本の中には、「甘えない人が自立するのではなく、甘えた人が自立するのです」と書いてあるようです。
私のその通りだと思います。

また、「甘え」という言葉は日本にだけあって、欧米にはそれに相当する言葉は見当たらないそうです。
日本人独特の心理である「甘え」を、親に対して、それが無理な場合は、甘えられそうな人を誰か探して、甘えてみませんか。
つらいこと、苦しいこと、いやなこと、悲しいことを話してみてください。
きっと、心が軽くなると思います。



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